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IIIA 42802
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Prototype History 10にて紹介しましたが、1938年にヒトラーがKDF Wagenと命名する起工式に並べられた3台のVW38プロトタイプに装着されたライセンスがIIIA-42801〜IIIA-42803でした。画像が2台目にあたるVW38プロトタイプ。

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2台目にあたるライセンスIIIA-42802はラグトップでしたが、VW museum所有のVW38は3台のプロトタイプ以降に生産された44台のうちの3台目にあたるモデルになります。プロトタイプ以降の44台のVW38にはIIIA-43001〜IIIA-43044のライセンスが備わりましたので正確にはIIIA-43003が装着されていた一台にあたります。

それではそれを掘り下げて考えてみると、なぜに?そのライセンスプレートをVW Museumが掲げたのかが気になるところですが、これに関しての理由については発信されていないのかな?といった感じです。まぁ、外国語が分からないので分からないのですが・・・

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3台のVW38プロトタイプのうち1台目にあたるセダンのライセンスを掲げたほうが、ボディータイプも一致するし、後のType1ビートルの原型とされるVW38プロトタイプの最初の一台を演出出来ると思うのですが、何故か?2台目?のラグトップのライセンスです。

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もしも一点、外見で判断基準にあたるとするならばフロントフードハンドルが鍍金だからと思ったのですが、、、
(プロトタイプの2台目のラグトップのみ塗りのハンドルではなくて光輝くポリッシュのハンドルが備わっています。ラグトップはセダンと異なり華やかにプロトタイプの時点で作られているようです。コンバチもそうあるべきだと思うのですが、、、画像を見ると黒いです。)
VW MuseumのVW38セダンにこのハンドルは?となってきますので違いますね。鍍金とポリッシュでも違うし形状も異なるから違いますね。

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そもそもルームミラーに目をやるとそれはVW38ではなくてVW39だったりします。。。あれ、でもバンパーのオーバーライダーはちゃんとVW38。
やはり、なんとなく掲げてしまっただけっぽいですね♪
いやっ、そんな事ないと思うんだけどな〜。。。


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WEBER 40 IDF CARB
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エンジンの調子が悪くてって事で入庫した訳でないのですが、試運転したらあまりの走らなさにびっくりしてしまいました。
どういった流れで走らなくなってしまったのかは分からないのですが、走らない事だけはすぐに分かりました。それなりの期間を手を入れずに乗っていた事もあり、あれもこれもと悪いところが出て来ているので、エンジンに関してもあれもこれもとハマっていきそうな予感ですが、ひとまずはキャブレターにアプローチする事と言う事で最低限の対応からって事でキャブレターを開ける事にしました。
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ガソリンのお部屋が乗らずに放置されていた感じです。

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チョーク機能がないので関連する物を取り除き穴を塞いじゃいます。

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マニにもよって出来る出来ないがありますが、洗うよりブラストしてしまったほうが早いですね♪
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トリップ
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話しが途中で終わってしまってますが、4年毎に開催される今年のHessischに訪れたお話の続きです。ここではこれぞドイツというビートルの写真を実はまだアップしていません。
その理由ですが、Prototype Historyを紹介してからと思って大きく脱線してしまいました。
Hessischについては雑誌等でも大きく取り上げられ2013年のドイツがどんなだったか?は伝わってると思いますが、少しタッチを変えて自分目線でのHessischをお伝えしようと思います。
と言う事で旬な話しでもありませんがマイペースにアップしていきます。


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Prototype History 23
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続きです。
1948年にドイツ人の元に戻って来たVW社はPrototype History 3で少しふれたミシン屋から始まったOPEL社の元取締役だったハインリッヒ・ノルトホフ博士が就任する事で劇的に変化していきます。本来は航空機エンジンの設計者として活躍していたので博士と呼んでみました。
就任後、まず始めにポルシェ博士によって設計されたType1を徹底的に分解、組付けを繰り返しながら徹底的なテストを行いました。この際に行ったテストはイギリス以上だったと思われます。この結果としてポルシェ博士の設計したVWに驚かされる事になると同時にVWを社長自ら徹底的に把握することになります。

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個人的にノルトホフ氏がVWを劇的に変化させた大きな要素は2つあると考えています。
1つはイギリス管理下の厳しい条件のもとで生産されていた工場にくまなく頻繁に足を運び、数多くある問題を改善し続け生産制を向上させたこと。
とは言ってもそもそもヒトラーが計画していたヨーロッパ最大の自動車工場としての基盤が大きい。
2つめはドイツ人のための国民車として存在していたVWを外国に輸出させたこと。特に自動車大国アメリカへの輸出。
厳密には就任前の1947年にオランダに初めて輸出することから始まり、欧州各国に輸出しています。1948年にはWolfsburg工場の年間生産台数の2割にあたる約5,000台近いVWが輸出されていました。この輸出によって得た外貨でVW社の成長が加速する事になります。
(1960年までは国営ですが、、、)

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そして1949年にオランダ人の手によってアメリカに2台のVWが正式に輸出されます。スタンダードとエクスポートモデルと呼ばれるデラックスバージョンでした。
アメリカにスタンダードのType1はないと思っていたのですが正式な一台として1949年がある事になります。

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翌年の1950年には約150台
1951年には約400台
1952年には約600台
1953年には約1,000台のVWが売れます。

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後ろの窓がオーバル形状になって1954年に約6,500台
1955年には大幅に増え約30,000台
1956年には約50,000台
1957年には65,000台
そして後ろの窓がスクエア形状になった1958年に80,000台が売れました。

こうしてノルトホフ社長の目標だったアメリカでの販売は大成功をおさめることになるのですが、驚くべき事に1949年から1958年までの間、ノルトホフ社長は一切広告を出していないのです。よって1958年までは高い評価の口コミによって全米でVWを購入していた事になります。
よって自分の58年もその高い評判によって購入した一台になります。
こうしてVWはアメリカで認められると同時に世界で認められるVWになり、以降成長し続ける事になります。

終わり。


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Santa’s Li’l Helper 2013
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年内最後のイベント案内を引用させて頂きます。

今年のSanta’s Li’l Helper 2013は12月21日(土曜日)に開催致します。
場所は例年通り、東京お台場潮風公園(南)駐車場にて開催致します。

日時:12月21日(土曜日) AM9:00~11:00
場所:潮風公園(南)駐車場 (東京お台場)

参加される方は下記の献品にご協力下さい。
乾麺、缶詰、お菓子、etc…日持ちのする食べ物、または未使用の文房具。

この日集められた献品は全て聖フランシスコ子供寮に寄付されます。
子どもたちが喜ぶ顔を想像してクリスマスプレゼントの気持ちで献品をお願い致します。
当日、献品をお持ちいただき参加された空冷VW先着80台には12月1日にSo.Calにて開催されたDKP III Santa’s Li’l Helper2013マグネットプラークを差し上げます。
連休のお忙しい時ではありますが、ご協力下さい。



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