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Prototype History 6

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1937 VW vw-30 Chassis with Floor Pan B&W.jpg
昨日の続きです。
1937年にダイムラーベンツの協力を経て生産された30台のVW30。

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1920年にヒトラーがドイツ労働者党から国家社会主義ドイツ労働者党に改名しまするのですが、この党の通称名をナチ党と呼び、党員を含めた複数形がナチスと呼ばれます。
1923年にはヒトラーが首謀者となり有名なミュンへン一揆を起こしますが、鎮圧されナチス党は禁止となります。ヒトラーは逮捕され裁判も行いますが、無罪となり釈放。そして偽装した政党を立ち上げ議席を獲得していきます。
1925年にはヒトラー自身を護衛させる為に親衛隊を組織、これをナチス親衛隊=SSと呼びます。

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このSSによってVW 30を国家機密とした歴史上類を見ない走行テストが昼夜行われる事になります。全車の平均走行距離は約8万キロ。費用は3万台分にもなりました。

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この過酷なテスト期間中に問題がなかった訳ではなく、様々な問題も起きた訳ですが、どういった問題があったのかと言うと。
・凍った道路を走行中に羊の群れを避けようとブレーキを踏んでスリップし,
 タイロッドを曲げる。
・凍った道路でスリップしフェンダーとフロントアクスルを破損。
・木の切り株にぶつけてフロントアクスルを破損。
・運転を誤って他の車と衝突しフェンダーとヘッドライトを破損。
・アウトバーンを高速走行中に鹿と衝突し大きく破損します。
 これは最大の事故とされてます。
また、事故以外の細かな問題は、コンロッドボルト、ワイパーモーター、ピストンリング、エキゾーストバルブ、燃料ポンプ、ヘッドライト、発電機、ファンベルトの摩耗、エンジン内部のメタル類等があがったが、製造する段階で改善できる問題が多く、組付け不良による問題は容易に改善可能と判断。
加えてコストダウンによって生じたとされる問題が暖房が不十分、室内の騒音、前輪のあばれ、制動力不足等で走行テスト中に意見される課題だった。

続く
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Prototype History 5
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昨日の続きです。
1936年、ポルシェ博士はヒトラーに依頼された国民車のプロトタイプを無事に完成させます。そしてV3は厳しいテストを受ける事になります。
この審査を行う中にはポルシェ博士に国民車製作の依頼を持っていかれたRDAの存在があります。ポルシェ博士の事を面白く思わないRDAによる入念なテストが数多く行われましたが、一切問題点が見つからずRDAは国民車プロジェクトを次のステップに進めるよう答えます。

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Vw30_interior2.jpg Vw30_interior1.jpg

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こうして1936年のV3誕生の翌年1937年に誕生するのがVW30です。
画像のVW30はVW30が作られる前に製作されたプロトタイプV1のライセンスプレートが備わっています!?
国民車開発の過程でV1,V2,V3は機密漏洩防止のため解体されます。
VW30も最後はヒトラーの命令で1942年に全て解体される事になります。


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VW30はV1、V2、V3のデータを元に数多くの改良を受け30台限定でダイムラーベンツによって生産されました。この後にも追加で30台製作されるので、合計60台のVW30が存在した事になります。


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ライセンスプレートは連番で装着されており、IIIA 37000からIIIA 37,030になります。
今年のHessischでは実際に現車を見る事が出来たのですが、VWミュージアムが所有するこちらのVW30は、当時の写真からコンピューターで性格にデータを取り木型が作られ復元された一台です。ライセンスプレートはIIIA 37001になっています。

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22台目となるライセンスプレートIIIA 37022はV2のコンバーチブルの木製フロアをスチール製に変更した特別な一台とされています。
貴重な写真を発見しましたがヘッドライトの位置がV2とは異なる位置に変更されています。恐らくはそのままボディーを換装したのではなく、VW30仕様に改善されてるのかと思います。V2を22台目に生かしたというのはあえての確信犯ですね♪するとV1やV3の3台も....
そうなるとVWミュージアムは何故ライセンスプレートをIIIA 37000ではなくIIIA 37001にしたのかが気になります。。。

続く




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Prototype History 4
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昨日の続きです。
今日はポルシェ博士が設計した最初期のモデルVシリーズについてです。

ヒトラーの条件は1000マルク以下で大人2人に子供3人が乗れる小型車で燃費に優れてる事に加え、アウトバーンを持続して走れる(100km巡航)空冷式エンジンであること等でしたが、この内容は当時に考えられない厳しい条件だったとあります。
最も安い自動車でも1500マルクした時代に、ポルシェ博士が快く引き受けたのには自身が描いていた理想の小型車に挑戦出来る絶好の機会だったからのようです。
さらにRDAからの冷たいお言葉も開発に没頭する燃料になったとあります。

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一台目はV1、2台目はコンバチでV2を製作。
走行テストがSchwarzwald(黒い森)で行われます。この黒い森はポルシェ設計事務所のあるシュツットガルトから西に位置します。
画像はその時の大変貴重な一枚!

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そしてポルシェ博士が一番最初に製作したV1。
ライセンスプレートナンバーは IIIA-0426。
木製のフロアにアルミボディー。

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V2はV1のコンバーチブルバージョンになります。
ライセンスプレートナンバーは IIIA-0427となりV1からの連番。
木製のフロアにアルミボディー。
v1とv2のエンジンは800cc, 960cc, 1000cc to 1263cc までが試されます。

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そしてV1,V2の2台の改良によって完成した3台目がV3です。
このV3は計3台製作されます。
画像はV3の一番最初のモデルです。
ライセンスプレートは連番でIIIA-0428ですが、後にIIIA 34992に変更。
V3の特徴はリアフードの下に2つの丸いロックボタンが備わります。
リアフードのスリットは8枚で丸い形状。

そして1936年、ポルシェ博士はプロトタイプの完成をヒトラーに電話で報告。
その試作車がV3です。これをVWでは復元しミュージアムに展示。
さらにイベント等にも自走で参加し盛り上げています。
復元されたV3のナンバーは当時と同じIIIA 34992。

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V3としては2台目となるのがこちら。
リアフェンダーにテールライトが装着されます。
リアフードのスリット形状が丸からオーバル型になりスリットが2枚追加され10枚になります。
ライセンスプレートはIIIA 370010。

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V3では3台目となる最終型モデルがこちら。
ボディーのデザインが、良く知ってるビートルに少し近づくような内容で細部にわたり変更されます。これに伴ってフロントフードとリアフードも小型化されています。
ヘッドライトの位置が変更となり、フェンダーに備わるようになります。
バンパーが備わり、テールライトの位置も上方に移されています。
リアフートを固定していたロックボタンも2つから1つになります。
ライセンスプレートはIIIA 34993。
この番号はV3の一台目の連番になり2台目に思いますが、ボディーの改良点等からは3台目とされています。上の画像でV1とV2を紹介していますが、アップしたV1の画像ではV2と同じライセンスプレートを使用しています。重要な自動車作りですので、ライセンスなんてのはとりあえず?な感じで試運転してしまったのかなと。。。

こうしてV1,V2,V3によってヒトラーの国民車構想が1936年に形となりました。

続く。

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Prototype History 3
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昨日の続き。
いつも話しが脱線して中々進まないのですが、改めて歴史を振り返る機会ってのがあってもいいですね♪
実績を積んだ自動車メーカーに国民車構想の話しが来ないで駆け出しのポルシェ博士に依頼したとなると面白くないのは、ドイツを代表とする自動車メーカーで構成されるドイツ自動車工業連盟(RDA)ですが、その一例としてはOPELが有名です。
では何をしたのか?
勝手に国民車の開発を進めて1937年のベルリンモーターショーにてそれを発表し、ヒトラーにどうですかと声を掛けてしまった事です。ところがヒトラーは激怒し無言でその場を後にしてしまったとの事。
この事がのちのVW社設立のポイントかと思います!が後ほど。
しかし、後の第二次世界大戦中にドイツ軍が活用した多くのトラックがOPEL社のトラックになります。

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ミシンの製造から始まり自動車を生産するまでになったOPEL。
この時代のドイツで最も大きな自動車メーカーとされていましたが、その背景にはGMがOPELを子会社化した事が大きいのかと思います。ちょうどポルシェ設計事務所設立と同一年位のお話です。
その当時の販売台数ランキングを調べてみました。
1位、OPEL (GM)
2位、Auto Union(AUDI)
3位、FORD
さらにこの時代、自動車を大量に生産可能な工場を完備していたのはOPELとFORDだったとあります。

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特に活躍したとされる一台がOPEL BLITSで、ドイツ語で稲妻の意味。フロントグリルに稲妻をイメージしたエンブレムが備わっていますが、英語に訳した1つにドイツ軍によるロンドンの大空爆を意味するものもあります。
戦時中はGMによる供給のコントロールもあったとされるOPELですが、色々と大変だったのではないかと思います。

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多くの資料でもヒトラーの記憶力の高さと頭の良さは特化してるとありますが、どんなかたちであれ偉人とは何か特化したものを持ってるのかなと。
この時代にヒトラーは改装と改善を繰り返しモデルチェンジが行われている自動車は互換性がなく多くのスペアパーツが必要となるため疑問を抱いていたとあります。
そのためRDAに対して自動車のモデルを小数限定にする制限をするべきだと考えています。また、エンジンに対しても独自の理想を抱いており、一種類のエンジンで様々な用途に使用出来る、空冷式で分解や組み立てが容易で単純である事としています。
この時、ヒトラーの描いていた考えは後の空冷VWの本質にリンクするものがあると思いませんか??

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ポルシェ博士の息子はヒトラーの思想は同意出来るものでなかったとしていますが、ヒトラーだけは一切傲慢な態度はとらなかったとあります。
事実、ヒトラーは勉強家で技術的にも細部に関する非常に的を射た質問をポルシェ博士に投げかけていたようです。ヒトラーは本気で国民車構想に取り組み誰よりもその事を理解していたからこそのやりとりがそこにあったと。

続く

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Prototype History 2
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(ヒトラーがポルシェ博士に書いた国民車のイメージ)
昨日の続きです。
ヒトラーは国民車の設計をポルシェ博士に依頼しましたが、こうなると面白くないのはRDA(ドイツ自動車工業連盟)になります。
個人的には普通RDAに声を掛けるものだと思いますが、ヒトラーが何故?駆け出しのポルシェ博士に国民車の設計を依頼したのか?
その背景を簡単に考えてみました。
それは数ある車の中でもポルシェ博士が設計したSuperchagerを搭載したメルセデスが好きだったからではないのかと、その特徴的なエンジンに興味を持ち、調べた結果、ポルシェ博士の存在を知っていた。。。

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よって依頼をする前からポルシェ博士を知っていてポルシェ設計事務所が関わっていた車輛が気になっていたからではないかと。
画像は1931年に一番最初に取り掛かった自動車Porsche Type12で、ポルシェ博士の特許を生かしたのちの空冷VWモデルに備わる内容と同じ4輪独立懸架モデル。

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ZUNDAPP Prototype/Porsche Type12

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TATRA 77/1st prototype

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TATRA V570/2nd Prototype

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NSU Prototype/Porsche Type32

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SKODA 932

代表的なのはチェコのTatra社とドイツのオートバイメーカーNSU社にイギリスのSkoda社。この3社は昨日ちらっと書いたポルシェ博士が取得した特許でもあるサスペンションシステムに興味を持ち開発を進めていたとされます。
元々2輪メーカーだったZUNDAPP社とNSU社のプロトタイプは後のVWの先駆けとなるモデルとして有名ですが、この2社は当時生産に踏み込めなかっためここでストップします。

続く
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