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角形シールドビーム
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軽トラちゃんのヘッドライトが球切れしましたので、久しぶりに目と鼻の先にある自動車リサイクル部品屋さんに足を運びました。
空冷VWとなるとなかなか足を運ぶ機会もありませんので新鮮というか懐かしい感覚です。
十数年位前からだったと思いますが、オンラインで何処でどの程度の物が幾らなのかが簡単に探せるようになり始めたと思いますが、便利なシステムであると同時にポルシェアロイを安価でGETなんて事も出来なくなりました♪

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今回は運良く以前に外した物がありましたので格安で譲って頂きまして無事に交換して終了!
空冷VWに比べると交換も容易でびっくりします。

余談ですが、このタイミングでヘッドライトの裏も綺麗に掃除したりしていたのですが、ヘッドライトの周りに備わるカバーも爪が割れたりしていてしっかり備わらないのでこちらも交換したいモードになりました。hahaha!

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Prototype History 20
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続きです。
1945年のWW2終戦後、ヒトラーの掲げた国民車構想KDF wagenはドイツの重要な軍事施設となってしまいましたが、連合軍がWW2で勝利を収め終戦後はイギリス軍の管理に置かれます。
このときイギリスはヒトラーが命名したKDFを払拭しVolkswagenとしてリスタートさせる事を決定します。
こうして正式にVolkswagenが歩み始める事になるのですが、イギリスはポルシェ博士の設計した国民車を徹底的に調べた結果、魅力も将来性も感じる事が出来ずに吸収する事を避けました。そこでフランスやアメリカのフォードに委ねますが拒否されてしまいます。

1945 volkswagen.jpg

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こうしてVWとしてスタートした1945年に生産されたVWは約1800台とあります。終戦後に生産されたType1は優先的に連合軍の元にわたりますが軍事車輛等が多く含まれています。12月には本格的な生産を始めたとされていますが最初に生産された台数は55台とあります。
翌年の1946年には工場の建て直しに伴って生産台数が大幅に増えて約10,00台が生産されます。さらに1947年は前年より少し落ち込みますが、前年同様に約9,000台を生産します。
終戦後からの3年間で約21,000台が生産された事になりますが、この3年間に生産されたVWは個人的に希少なひとくくりとしての魅力を感じます。
特に現存する1945年のVWはイギリス軍仕様が多いです。

1946 VW pickup.jpg
<1946 Pickup>
1946 volkswagen conv.jpg
<1946 Conv Prototype>

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<防音マット>
何故?1945-1948に生産されたType1がひとくくりに感じるかと言うと、国民車が一般的でもない時代の中で、敗戦という結果の終戦後間もない時期だった事。さらに加えて1948年にイギリス政府はドイツ政府にVWを返すことになるからです。
この広い世界、VW Fansの中には1949年から生産されたVWこそVWと思われる方もいるのではと思います。よって終戦後から1948年までに生産されたVWをひとくくりに見る事も出来ます。

続く



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導入
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クレジットカード決済が可能になりました。

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延期になりました!
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今週末の27日に仙台ハイランドにて開催が予定されていたDrag In 4thが1週間後の11月4日の月曜日に延期となりました。
今週末の日曜日はお休みの予定でしたが通常通り営業します。

Here! Staginglane.net
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Prototype History 19
kdf wagen factory.jpg
続きです。
1945年の春には連合軍の目標であったKDF wagenのファクトリーの3/4が破壊されることになります。
そしてこの数ヶ月後、まずはアメリカ軍が占領、約2ヶ月後には工場の責任をイギリス軍がまかせられる事になります。
この際、KDF wagen市の工場近隣にあったオオカミの城を意味するというお城から名前を拝借しKDF wagen市からWolfsburgに変更されます。
さらにヒトラーが命名した国民車の名前はポルシェ博士も気に入っていなかったとされていますが、国民車の名称KDF wagen/Type60をVolks wagen/Type1に変更します。
こうして戦後は本来の目的だった国民車Type60をType1として国民のために生産していく事になります。さらにDAFの中のKDFが果たせなかった積立金制度による納車もVolkswagenが変わって果たしていくことになります。

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連合軍の中のイギリスは戦時中からこのドイツの車を意識していたとされますが、そのイギリスはKDF wagenの軍用車シリーズも残っていたスペアパーツ等を集めて生産させます。
Type82はType21として生産。

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さらにType82のシャーシにType60のボディーが搭載されたType82eをType51として生産。

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Type82は4×2でリアにリダクションギアを装着し、トルクと地上高を確保した悪路でも走行可能な車輛でしたが、さらに走破性を高めて4×4化された車輛Type87はイギリス流に少し手を加えて生産。

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Type87の4×4に加えて水陸両用車として生産されたType166も戦時中に生産していたファクトリーから部品を探し出してイギリスに持ち帰り生産。

余談ですがType87やType166等を見比べて行くとタイヤの太さの違いが目立ちます。これは本来は太いタイヤが備わるように設計されているのですが、戦時中の資源不足による問題等から細いタイヤが多く配給されたためにそのような違いが生じたようです。
そうなるとWW2の開戦間もない頃に生産されたモデルは太いタイヤ、以降に生産されたものは細いタイヤを履くという拘りを持って装着されてる方もいらっしゃると言う事ですね♪

戦後KDF wagenシリーズはイギリスの専門家によって技術等を含めて徹底的に調査されますが、技術もデザインも何も魅力がないとされイギリスに吸収される事にはなりませんでした。

続く





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